ラベル 経過 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 経過 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年6月7日金曜日

休職期間中の生活 



希死念慮・自殺願望~死について考える日々」のつづき。

このところの体調不良により、自分の過去を振り返る余裕が無かったのだが、仕事の時間を減らしたことで、体力的には回復傾向にある。
また調子を崩す前に、過去の休職期間中の生活について書こうと思う。

現状ではなく、この時点で6年ほど前の話だ。

通常に出勤することがままならなくなり、ほぼ強制的に休職となったわけだが、そう簡単に体調がもどるわけもなく、ほぼ毎日、ベッドかソファーで寝て過ごす日々が続いた。

妻は仕事があるので、8時頃には出かけてしまう。

家には、自分と猫2匹だけ。

このころはまだ、猫らも完全になついておらず、一定の距離があった。
朝起きて(と言ってもこのころは不眠が酷かったので早朝目覚める)、どうにか猫の朝食を用意する。
そして、猫トイレの掃除をすると力尽き、ソファーかベッドに倒れ込む。

うとうとしている間に昼になるが、食欲はない。

午後になると起き上がれる気力が湧く日もあったが、座っているだけで何もできない。

時折、当時の職場から電話があったが、それも最初のひと月ほど。

ろくな引継ぎもせず休みに入ってしまったので、混乱していたことだろう。
主な業務として重要だったのが、取引銀行とのやり取りだった。マネーロンダリングの防止だとか、反社会的勢力の排除だとか、銀行の対応も厳しくなり始めたころだったので、銀行の身元確認が厳重になっていた。会社の従業員として銀行で手続きする場合でも、銀行に対し本人確認書類を提出して、登録した人物でないとできない手続きもあった。

そんなことも引き継いでいなかったので、今まで電話で済んでいたことや、窓口で顔パスだったことが、登記簿の提出を求められたり、追加の書類提出を求められたりと、一筋縄ではいかない状況になったらしい。

とはいえ、そんな混乱も1ヶ月もあれば収束するわけで、自分がいなくても会社は回り続けることを実感した時期でもあった。


もっと早く休養すればよかった。

毎日そんなことを考えていた気がする。

このころは余程体調が悪かったのだろう。はっきりとした記憶がない。暗い印象だけが焼き付いている。


夜寝て朝起きる、お腹が空いて食事をする、買い物に行く・・・、こんな普通の生活に近づくまでに4~5ヶ月はかかった。

長らくスーツで仕事に行く生活だったので、普段着が足りない。
服、買いに行こう。そう思った時には、外はすっかり冬になっていた。


体調が少し落ち着くと、うつ病についてネットで調べることがあった。

どうしたらいいのか分からないかったので、情報が欲しかった。

  • バランスのいい食事を心がける。
  • 睡眠など生活リズムを整える
  • 外に出て日光を浴びる
  • 趣味を持つ
  • 運動の習慣をつける。
  • 重要な決定を避ける。
  • ちょっとした回復の兆しを意識する。
  • 十分な休養をとる。

まあ、いろんなことが書いてある。

だが、ほとんどのことはできない。
出来ることは休養することくらい。それも、意味不明の不安感や、原因不明の倦怠感・疲労感に襲われままならない。

実践できたのは、重要な決定を避けたことくらい。
そもそも、何も考えていなかったので、重要な決定などしようがなかった。



うつになったらどうすればいいのか。

とにかくひたすら体を休める。死なないように。



これしかない。


...つづく。


Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へ


2019年6月2日日曜日

希死念慮・自殺願望~死について考える日々



妻の希望で猫を飼う・・・その理由は?」のつづき。


2013年7月から、休職したことで通勤という苦難からは解消されたが、不眠と食欲不振からは逃れられず、何もできない日々が続いていた。
夏だというのに、汗すら出ない。「死ぬ」ということを考える日も多かった。

うつ病というと、自殺と関連づけられることが多い。

事実、ネットで鬱の症状について調べるてみると、倦怠感・疲労感・興味の減退といった諸症状のほかに、「死について考える」という症状が出ることが述べられていることが多いし、健康問題が原因の自殺者のうち、約4割がうつ病(自殺者全体のうつ病の割合は約2割 厚生労働省 自殺の統計:各年の状況より)だったという統計も存在する。

何らかの原因でうつ病となり、自殺願望が生まれるのか、何らかの原因により自殺願望を抱き、その結果うつ病になるのか。鶏が先か?ヒヨコが先か?のような議論も出来なくはないが、うつ病が自殺と関連することは間違いないようだ。

幸い、自分の場合は自殺願望があったという自覚はない。
死んでしまうのかもしれない、もしくは、死んでしまいたいと考えたことはあった。

自ら積極的に死を選ぶ自殺ではなく、漠然と死を願う希死念慮といった思考なのかもしれない。

電車やバスに乗っている時や、歩道をあるいている時に、交通事故で(自分が)死んでしまえばいいのにと考えてしまうが、電車や車に飛び込んで死のうとまでは思わない。ビルの窓から外をみて、落ちたら死ねるかなと考えるが、飛び降りる場所を自ら探すことはしない。自分の力ではなく、他力による死を考えていた。

こうなると、自分ではどうすることも出来ず、こんな思考が過ぎ去ってくれるのを、じっと待つよりほかにない。

家での会話の中にも、こんな考えが現れていたいたそうだ。


未だに原因が何か、自覚できていない。
順調だと思っていても、ある日突然、倦怠感におそわれ何もできなくなる。

仕事を休んでも、ブログを書ける気力がある分、以前よりはましだと思うが、いつになったら楽になるのだろう。


・・・つづく

Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へ


2019年5月29日水曜日

妻の希望で猫を飼う・・・その理由は?



2013年8月~ 休職・自宅療養」のつづき。


休職してひと月ほどたったころ、妻が、猫を飼おうと言い出した。

以前から猫好きだった妻が、猫を飼いたがっているのは知っていた。だから、ペット可の家に住んでいた。
2人とも働いているので、猫を迎えることに気がひけていたのだが、休職するのなら一日中面倒見れるでしょ?というのが妻の言い分だった。

比較的体調のいい日を選んで、里親を募集している保護施設を訪ねるようになった。

家に引きこもりがちの俺を、外に連れ出す口実であったのかもしれない。

そして、ある日、一目惚れした子猫二匹を引き取った。

休みはじめてから、ちょうどひと月が経ったころだった。


当初は、人を見ると威嚇し、ケージの隅や机の陰に隠れていた二匹だったが、一週間もすると気を許し始めた。

体調が優れず、ほとんど一日中寝て過ごす日々だったが、猫の世話をするときは起き上がることができた。
トイレを掃除したり、飲み水をかえたり、時には、おもちゃで遊んだり。

しばらくすると、寝ている俺のすぐそばで、一緒に寝るようになった。

傍らでおとなしくしている姿は、まるで慰められているようだった。


これは後日談だが、妻にとっては、自殺防止の手段だったそうだ。うつ病と聞いて、真っ先に自殺を心配したらしい。

自分では何もできない子猫、自分より弱い立場の子猫が一緒なら、多少具合が悪くても、頑張って世話をするだろう、というのが妻の考えだった。


アニマルセラピーなんてのが存在するが、なるほど、動物は人に癒しを与えてくれる存在のようだ。

子猫を眺めているだけで、ほかのことを考えずに済む。

守ってやらなけばという使命感も生まれるようで、二匹の世話は怠ることは無かった。


幸い、どんなに体調が悪くとも、自殺を考えることは無かった。
自殺に関しては、結局 無用な心配だった訳だが、当時の俺は、自殺でもしそうな表情だったのだろう。

この後、数年にわたって心配をかけることになるのだが、それでも俺を見捨てなかった妻には、なんとお礼を言ったらいいか分からない。
今も安心しているわけではないだろうが、面と向かって言うのは恥ずかしいので、ここに書かせてもらおう。

本当にありがとう。


・・・つづく

Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へ


2019年5月26日日曜日

2013年8月~ 休職・自宅療養



2013年7月 はじめての心療内科」のつづき。

職場からの指示で、心療内科を受診した。
7月の初旬のことだった。

この日から、週1回のペースで通院することとなった。

初診を含めて、3回目の診察のとき、診断書を発行してもらった。

当然のことなが、診断された病名は「うつ病」。


この診断書を会社へ提出し、休職の手続きをした。


通勤時の苦痛からは解放されることとなったわけだが、ここからが長かった。

起床とともに襲われる倦怠感と疲労感。
ベッドから起き上がっても、何もできずリビングのソファーに横になる。

妻(この時点ではまだ入籍していないので、厳密には内縁の妻)の出勤を見送るのがやっとで、ほかに何か行動をする気力が湧いてこない。

寝ているのか起きているのか、自分でもわからないまま、気が付くと時間は昼を過ぎている。

昼食の時間になっても空腹感はない。
食欲はないが、半ば義務的に食事をする。そして嘔吐。

このころは、食べては嘔吐、食べては嘔吐を繰り返していた。

医者からは、体力を回復するためにも、バランスのとれた食事を心がけるよう言われていたし、看護師の義姉からも、食べたものが全て嘔吐で出ていくわけではないから、吐いてもいいから食べろ、と言われていたので、食事をする努力はしていた。

が、その後の嘔吐の苦しさから、どうしても食事量が減ってしまう。

夕食も同じだ。

食べてもすぐに吐いてしまう。

夕食後に処方薬を服用しても、食事と一緒に吐いてしまうので、食後、嘔吐するのを待ってから薬を服用するようになっていた。

仕事をしている妻に合わせて、夜は布団に入る。

しかし、熟睡した実感のないまま朝を迎える。


そしてまた、前述の状況を繰り返す。



このまま死ぬかもしれない......。

この頃は毎日そう考えながら生活していた。



・・・つづく

Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へ


2019年5月24日金曜日

2013年7月 はじめての心療内科




2013年6月~7月 会社から休養を命じられる」のつづき。

これまでの人生で、度々病院にはお世話になったが、心療内科なる病院に行ったのは、生まれて初めての経験だった。

職場から休養を指示されたその日、帰宅途中に見かけたクリニックに予約を入れた。
初診の場合、診察に時間がかかるとのことで、1週間ほど先の日程しか予約が取れなかった。

この先しばらくは休みだから、日時などどうでもよかった。時間はいくらでもある。

結局、心療内科の初診は、休養を命じられてから10日程経った、7月の初めとなった。

このころは、余程体調が悪かったようで、休みとなった直後の生活が、どのようなものだったのか、よく覚えていない。
“何かをした”とい記憶がない。ほぼ一日、自宅で横になってすごしていたのだろう。

ただ、はっきり覚えているのは、初めて診療内科を訪れた日のこと。

天気のいい日だった。

午後からの予約だったので、昼過ぎに家を出た。

身体がだるく、何もしたくなかったが、現状をどうにかしたいとは考えていたので、重たいからだを引きずって電車に乗った。
朝の通勤時とは異なり、車内は空いていた。

途中、気分が悪くなることもなく、無事に病院へ到着した。
到着すると、手続き後に数枚の紙を渡された。問診票とでもいうのだろうか、A4用紙2枚の両面にびっしりと質問が印刷されていた。もう1枚は、初診の病院ではよくある、アレルギーや現在服用中の薬、既往歴などを記入するものだった。

特に、難しいこと聞かれている訳ではないが、この時の体調では、じっと文章を読んで考えることも、紙に文字を書くことも苦痛でしかなかった。
書き終えるまでに1時間ほどかかった。途中、病院のスタッフが手伝いにくるほど進まず、問診票のほどんどは、読み上げてもらったうえで口頭で回答し、回答を記入してもらうという状況だった。

やっとの思いで記入が終わると、医師との面談が始まった。胃腸の調子が悪くなり、(普通の)内科に通院していること。職場へ思うように通勤できなくなったこと。不眠、倦怠感 等々。最近の状況を話した。

しばらくすると、記入した問診票の結果が医師のもとに届いた。
回答内容がスコアリングされ、得点(?)が出るものらしく、結果はすこぶる悪かったようだ。

話した内容と、問診票の結果を総合すると、うつの傾向が非常に強いという結果だと、医師より診断された。

職場へ提出する診断書を要求したが、現状ではうつ傾向であるとしか言えず、鬱にも色々あるようで、診断書を出すには、数回通院して様子をみる必要があるとのことであった。

メンタル系の疾病ということもあり、日常生活についていろいろ指示があることを想像していたが、その日医師から言われたことは、「とにかく体を休ませること」だけだった。

動くのが辛ければ、寝ていてもいい。

自分の状況に罪悪感すら持っていたときだったので、なんだか救われた気分になった事を覚えている。


「頑張りすぎたんだね。ゆっくり休みましょう。」

最後に医師にそう言われた。


・・・つづく

Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へ


2019年5月22日水曜日

2013年6月~7月 会社から休養を命じられる



2013年2月~5月 理由のない不安感・焦燥感」のつづき

5月も下旬になると、本格的な不眠に悩まされるようになる。

何かが不安、何かをしなければいけない。
そんな気持ちにかられて、1時間ごとに目が覚める。

時計の秒針の音が気になって眠れない。

眠れたとしても、今度は胃痛で目が覚めてしまう。

眠れないから朝が辛い。

辛いけど出勤しようとする。

電車に乗る。

気分が悪く途中下車。と言っても、自宅の最寄駅から2駅~3駅程度しか進んでいない。職場が果てしなく遠く感じる。

ホームのベンチから動けなくなり、職場に遅刻or欠勤連絡をする。


この後、途中下車を繰り返しながら、どうにか出勤する日もあった。しかし、たとえ出勤したとしても、この状況ではまともに仕事などできるはずもない。


6月の中頃、珍しく定時出勤すると人事に呼ばれた。
会議室で現状を話したが、人事の対応は、休職させることで、すでに決まっていたようだ。

そりゃそうだ。
体調が悪くて、ろくに仕事も出来ないのに、思い体を引きずって出勤しようとする社員など、会社としてリスクの塊でしかない。
通勤途中で事故にでも遭えば、会社としても無関係ではいられない。


人事部の担当者と数分話した後、産業医との面談を指示される。
隣の部屋には、すでに産業医の先生が待機していた。

産業医には、ここ数カ月の勤務状況がすでに報告されていた。
面談開始早々に、心療内科、もしくは精神科を受診するよう言われ、本日以降、診断結果が出るまでの間は出勤停止、受診後に診断書を徴求したうえで、改めて今後の対応を決定しましょう、とのことだった。

その日は、業務の引継ぎもそこそこに退社し、職場から駅へ向かう途中で見かけた診療内科に、初診の予約を入れた。


...つづく


Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング


2019年5月21日火曜日

2013年2月~5月 理由のない不安感・焦燥感



2013年1月~2月 食欲不振 不眠 倦怠感」のつづき。

内科で診察をうけ、薬を服用しても、体調が改善する気配はなく、欠勤する日が増えはじめた。

朝目覚めると、決まって胃が痛い。
それでも出勤するために支度を始める。

自宅から最寄り駅まで歩き、そこから電車で1時間。通勤ラッシュの時間帯だから、座ることはまずできない。
電車を降りてから職場までは、徒歩で5~6分で着く。

電車の中で気分が悪くなり途中下車。ベンチでしばらく休憩。
1~2本電車を見送り、気分が落ち着いたら再び乗車。
そして、どうにか職場へ到着。

これを毎日繰り返すようになった。

日を追うごとに、1回だけだった途中下車が2回、3回・・・と増え、ベンチから見送る電車も3本、4本・・・と増えていった。

こうなると、予定通りに職場に到着できなくなり、遅刻することが多くなった。
さらに日が経つと、一度下車したら再度乗車できなくなり、空いている反対方向の電車で、自宅にUターン。
仕事を休むようになった。

2013年4月下旬から、同年5月までの1カ月半ほどの期間で、勤務時間通りに仕事をした日は、1日あるかないかの状態。

こうなると、上司も放っておくわけにもいかないのだろう。
人事部へと通達されることとなる。


職場での待遇に問題は無かった。
別に、ハラスメントを受けるようなことも無かったし、人間関係に悩むことも無かった。

仕事にも責任をもって取り組んでいると自負していたし、現に、人事考課も悪くは無かった。

ただ、忙しすぎたのかもしれない。


ちょうどこのころ、勤めていた職場では、株式上場の計画があり、全社をあげて取り組んでいた。

私が所属する部署(財務経理)でも、今まで以上に正確さが求められ、決算の早期化が至上命題とされていた。

経理作業と言えば、社内のお金にまつわる数字を、会計に反映させるのが業務の基本なのだが、株式上場となると、単なる簿記の延長では済まなくなる。


数字の根拠と正確性を、厳格に問われるのはもとより、そのスピードも問われる。
結果、他部署との調整も多くなり、これまでの業務以外に時間をとられることとなった。

結果、残業が増えた。深夜残業も度々あった。
だが、決して、世間で話題となるようなブラックの状態ではない。月末月初の数日間、月次の数字をかためる期間のみの話だ。

月の中頃は、定時で帰宅する日もあった。


今までなら、多少の激務には耐えられる、気力と体力があったのだろうが、知らず知らずのうちに、無理をしていたのかもしれない。
このころ、その無理がたたり、今まで受け止められていた疲労が、堰を切って体調不良というかたちで、あふれだしたようだ。


休めばよかった。

いま振り返るとそう思う。

休養していれば、体調は好転したかもしれない。

しかし、この時、そんな考えは微塵も無かった。

数日の休暇なら、取ろうと思えば取れただろうが、このころはなぜか、取りつかれたように職場へ行くことに固執していた。



2013年の5月終盤。
不眠が頂点に達し、深夜・早朝にわけもなく不安になって目が覚め、そして、理由の分からない焦燥感に駆られるようになっていた。


・・・つづく

Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング


2019年5月16日木曜日

2013年1月~2月 食欲不振 不眠 倦怠感



2013年初め 体調に異変が・・・。」のつづき・・・。


現在の妻(当時はまだ入籍前だが)の姉が、看護師として勤務する病院へ通院することになった。

コネを使って、あらゆる検査の予約を入れた。

胃の痛みに耐えながら、バスと電車で病院へ。

多くの患者さんが、診察の順番を待つ中、顔パスで診察室へ通された。
コネの威力を最大限に活用し、血液・尿検査、腹部エコー検査、上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)、CTだかMRIだかの検査etc・・ 徹底的に検査を受けた。

胃に出血の痕跡があるものの、大きな異常はなく、胃薬と整腸剤、急な痛みに襲われたときの頓服を処方された。

朝一番で病院へ行って、午後1時ごろに終わった。
薬は、とりあえず1ヵ月を出してもらい、翌月の診察予約をした。

2013年1月の初旬の事だ。


妻や義姉に散々心配をかけたにもかかわらず、診断結果は異常なし。

大山鳴動して鼠一匹

本来なら喜ぶべきことだか、胃痛や嘔吐の原因が分からないというのは、本人としては不安でしかなかった。
このころはまだ、うつ病といった精神的な病だとは考えも及ばなかったため、年末年始は仕事が忙しく(この年は大晦日と元日しか休めなかった。)疲れがたまったのだろうと、自分自身に言い聞かせて、体調不良の理由として納得しようとしていた。


この日以降、1日3回、処方された薬をのみながら、なんとか仕事へ行くという日々となった。


薬の服用をはじめて数日が経つと、胃痛が治まったように感じることもあった。
さすが、病院処方される薬は、市販薬とは効きが違うな などと考えていたのもつかの間、症状はさらに悪化していくこととなる。


一次的に回復したかに思えた胃痛だが、夜眠れないことがあるほど痛むようになり、眠れたとしても、夜明け前に痛みで目覚めるようになった。
胃が痛いと思っていたのだが、背中にまで痛みを感じるようになった。

胃がわるいと、背中の方まで痛みを感じることがあるらしいが、自分の手が届かない場所の痛みは、耐えるのが辛い。摩ることができないのが辛かったのを覚えている。


2月に通院した際に、胃痛と嘔吐が改善しないこと、不眠のためか、朝から倦怠感と疲労感に襲われることを申告した。

今思えば、極度の倦怠感と疲労感は、うつの症状を呈しているのだが、本人はお腹をこわしたとしか思っていなかった。
倦怠感と疲労感のほかに、理由の分からない不安感で目覚める事もあった。


この時すでに、妻と義姉、担当医の間では、メンタルクリニックを受診したほうがいいと話していたそうだ。後日談だが。


本人は苦しんでいるが、検査で異常がない以上、内科医としては策がなく、相当面倒をかけたに違いない。

薬が増えた。

医者としても、ほかに方法がなったのだろう。
メンタル系の効能がある内服薬が新たに追加処方された。

医者と言っても、それぞれ専門分野があり、薬についても処方できるもの出来ないものがあるらしい。
内科医には、精神科医が処方するようなメンタルを改善する薬は、処方できないものもあるそうだ。
そもそも、通院している病院には、精神科も心療内科も無かったので、精神的な処方薬も取り扱いがなかっただのろう。

当時、その医師が、その病院で処方できる薬を調べもらった結果、内服薬が2つ増えることとなった。


藁をもつかむ思いで、出された薬を服用したが、体調は悪化する一方だった。


ズボンのベルトは、穴を1つ増やさなければならない程、体重は減っていった。


・・・つづく


Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング



2019年5月15日水曜日

2013年初め 体調に異変が・・・。

このころ勤めていた職場は、年中無休の小売業。
財務課で資金管理や債権管理を担当していた。

仕事は順調だった。

これといったトラブルもなく、職場の人間関係は良好だった。


最初の異変は、1月の中頃だっただろうか。

胃痛で食欲がなくなり、痛みで目覚めることが多くなった。
しばらくすると、食べ物を受け付けなくなった。

食べると嘔吐。

繰り返す嘔吐は、本当に苦しかった。

体重が減り、体調不良による欠勤がふえた。


今思えば、このときしっかり休養すべきだったのかもしれない。すでにうつの症状が出ていたのか、当時の自分の頭の中には「休む」という選択肢が存在せず、取りつかれたように出勤しようともがいていた。

体調不良をおして通勤電車に乗っても、職場までたどり着けず途中下車。気分が悪くなり、つり革につかまっていても、足元がふわふわと浮き上がったように感じる。

電車内で倒れては、他人に迷惑がかかるという理性のようなものが働き、途中下車してホームのベンチへ。
朝の通勤電車でこれを繰り返す。

当然、始業時間には間に合わず、遅刻、もしくは欠勤となるのだが、それでも職場へ行かなければならないと考えていた。
自分が出勤しなければ、誰かに迷惑がかかる。自分がやらなければ、仕事が滞る。

そう思っていた。

疲れた時、体調が思わしくない時、そんな時は休めばいいのだが、当時の自分にその考えが浮かばなかった。
自分の業務を遂行することは、社会人として当然のことである。

が、悲しいかな、自分ひとりが欠けたぐらいでは、会社はびくともしない。

ひとりが休んでも、会社は回り続けるのだ。


とはいえ、胃痛と嘔吐はつらいので、病院へいくこととなった。


...つづく。


Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング



2019年5月14日火曜日

40代で無職になった男

うつ病と診断されたのはちょうど40歳になった年の夏だった。



その前年の末あたりから、体調がおかしかった。
胃痛と食欲不振。
朝は、痛みに耐えかねて目覚めるようになった。


年が明けると、体調はさらに悪化。
食事をすると嘔吐するようになり、その苦しさから、さらに食欲は減退。ほとんど食事ができなくなった。体重はみるみる減り、最大で15㎏減。
鏡に映った自分の姿を見て、このまま死ぬかもしれないと思ったほどだ。

幸い、妻(当時は、同棲中だったが、まだ未婚。)の姉が看護師だったこともあり、義姉の勤める総合病院で、内科の診察をうけることになった。
血液・尿検査にはじまり、腹部エコー検査、上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)、CTだかMRIだかの検査・・・とにかく徹底的に検査を受けた。

結果、特に大きな異常はなし。

胃に出血した痕跡がある事、胆嚢にごく小さいポリープが見つかった事、本来なら閉じるはずの胃の入り口(噴門)が閉じていない事などが医師から指摘された。


要は、食事が出来なくなるような病気は、内科的には無かったよってこと。


胃の入り口の締りが悪いのは、嘔吐したせいらしい。


だが、現実には、食欲もなく、食べれば嘔吐するわけだから、数種類の胃腸薬を処方された。


もう、この時すでにうつだったのかもしれないが、本人は知る由もなく、とうとう仕事にも影響が出始める。


体調不良による欠勤・遅刻・早退が増え、人事部の眼にとまることととなり、産業医との面談を指示される。

産業医に、内科での診断と自身の体調を話すと、間髪入れずに心療内科か精神科の受診を命じられ、人事からは、診断結果が出るまでは出勤を停止する旨を伝えられた。

その後、診療内科でうつ病と診断され休職。


休職⇒復職⇒休職⇒復職⇒休職⇒退職⇒数年の自宅療養(無職)⇒アルバイトを始める・・・。

こんな経過を経て現在に至るのだが、同じような境遇で苦しんでいる方、そして、自分自身の今後のために、これまでの経過を少しずつ記していきたいと思う。


発症から6年。

バイトを始めたが、再発の恐怖におびえる日々。

これからの生活に対する不安。


うつ病により生活は一変した。



この経験をここに記していくことで、誰かの役に立てればいいのだが。



Please click here
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング